「ゴリラに学ぶ、人間のあり方」

2019.10. 5

山極 壽一 × 辰野 勇 (対談)

 辰野 ・・・私自身年を重ねてくると、自分の老い先について考えるようになります。しかしゴリラやチンパンジーは、自分の将来のことを考えることはないと聞きます。彼らは今この瞬間を生きていて、加齢などで何か能力が損なわれていくことがあっても、それを受け入れてゆく。余計な悩みがないのではないかと思うのですが、そのあたりはいかがでしょう?

 山極 ゴリラでも落ち込むことはあるようです(笑)。フンを投げたり胸をドラミングしたりといったディスプレイ行動で気分を晴らしますが、自分の本来の衝動が発揮できない状況では、引きこもってしまうゴリラもいます。しかし今の自分に起きたことを、過去と引き比べて、なんて不幸になったんだろうとは考えません。

 辰野 なるほど、過去を振り返らず今を生きる。それは人間にも少し分けていただきたい能力ですね(笑)

 山極 なぜゴリラやチンパンジーがそうなのかというと、彼らは言葉を持たず、過去の記憶を再現することができないからなんです。以前、フランシーヌ・パターソンという発達心理学者が、マイケルという雄ゴリラに手話を教える実験をしたことがあります。マイケルは見事に手話を覚えたそうです。パターソン氏が試しに、アフリカにいたころの状況を聞くと「お母さんが首を切られて殺されてしまった」と手話で表現したというのです。

 辰野 言葉を持ったために、そうした記憶が呼び起こされたということですか。非常に辛い記憶だと思いますが、やはり脳内には残っているのですね。

 山極 記憶はあるのですが、言葉を持たないため、普段は記憶が眠ったままなのだと思われます。一方、人間は言葉を持っており、過去を常に確認できるから、今の状況と比較して落胆したり、あるいは喜んだりする。また、未来の自分というものを言葉によって描いて、努力すれば目標に近づけるかもしれない、と夢を抱いたりもする。そういうことは、ゴリラもチンパンジーもやらないんです。

 辰野 言葉があることによるそうした人間の営みは、幸福にも不幸にも繋〔つな〕がるものですね。大事な能力であると同時に、人間の深い性〔さが〕のようなものを感じます。
 自分の最終的な「未来」ということで言うと、ゴリラは死についても考えないのでしょうか?

 山極 死について知ってはいるものの、自分が死んだらどうなるだろうとか、そういうことは考えないでしょうね。自分に与えられた状況が死に向かおうとも、受け入れて淡々と過ごしているように見えます。私も憧〔あこが〕れていますが、ゴリラは自分の死を意識すると、食べなくなるんです。日本の坊さんが生き仏に成っていく様子と、少し似ている気がしますね。

 辰野 ゴリラの心の準備というか、体が自然と死に向かってゆくのでしょうか。死を悟ったゾウは人目につかない死に場所を探すという話も聞きますが、そういった動物の最期を、先生は羨〔うらや〕ましいと思われますか?

 山極 羨ましいと思いますね。病院のベッドの上で何本も管につながれて延命措置を取られ、よく分からないままに最期を迎えるケースも多いですから。生き物として死を意識したら、段々と食を細らせながら、ひっそりと命を閉じてゆくことができるのは、理想的な死に方ではないかと思うんです。

・・・

※山極 壽一〔やまぎわ じゅいち〕:京都大学総長、霊長類学者・人類学者
 辰野 勇   〔たつの いさむ〕      :モンベル代表、登山家

『OUTWARD〔アウトワード〕』AUTUMN 2019 No.84より

和尚からの蛇足

 この対談の題名「ゴリラに学ぶ、人間のあり方」を見て、人間がゴリラから学ぶことなどあるのだろうかと一瞬疑問に思った。

 しかし読んでみて、「えっ、そうなのか」と思ったことが二つあった。

 一つは、「ゴリラは過去を振り返らず、今を生きる」、「一方、人間は言葉を持っており、過去を常に確認できるから、今の状況と比較して落胆したり、あるいは喜んだりする。また、未来の自分というものを言葉によって描いて、努力すれば目標に近づけるかもしれない、と夢を抱いたりもする。」ということ。

 もう一つは、「自分に与えられた状況が死に向かおうとも、受け入れて淡々と過ごしているように見えます。私も憧〔あこが〕れていますが、ゴリラは自分の死を意識すると、食べなくなるんです。」というところである。

 どちらも仏教の教えに通ずるものを感じた。というよりも、この二人の対談者はよく仏教を理解していて自然とそこに目が行き届いたのかなとも思った。

 一つめについて、ふっと思い出したのが、中国禅の三祖〔さんそ〕が『信心銘』〔しんじんめい〕の中で、「言葉で語りつくそうとしても考えつくそうとしても本当のことは言い尽くすことはできない、しかし言葉を離れ思考から離れたからといって本当のことに通じないということはない。」と言っていることである。

 人間は言葉に頼ることにより、たくさんの知恵や文明を発達させた。しかし色々な問題が生じて、悩みや苦悩を抱えることとなった。でもそこに心底から気がつく人はいない、我々はどうして良いか分からなくなっていると言える。いま言葉を捨てることは不可能である。それ故に別の救いが必要だと言えるであろう。
 そこで人間にとって簡単なことではないが、まさにゴリラから人間が学ぶべきことがあるのである。

 二つめの動物が「生き物として死を意識したら、段々と食を細らせながら、ひっそりと命を閉じてゆくことができるのは、理想的な死に方」が羨ましいということ。

 これも同じ三祖が『信心銘』の中で、「本来の自性のままに行動すれば、道に合(かな)うのだ。今の境遇に安住して楽しめば悩みなんかは無くなるだろう」といっている。動物のゴリラやゾウは本来の自性のままに行動し、道にかなっているのだと言えるであろう。

 現代社会では悩み、苦しんでいる人が身の回りにあふれている。さて私に何ができるのだろうと考えた時、薬を処方して、症状をその都度抑えてやることではなく、楽しいことを与えて、悩みを一時的に忘れさせてやることではないだろう。

 あえて言えば、「ゴリラに学ぶ」といっても、ゴリラに戻ることなどできないことは当然である。

 ではどうしたらいいのだろうか?
 それには「ゴリラに学ぶ」をヒントにして、三祖が言うように、自らが取捨憎愛をしなければ、大道(悩みや苦しみのないところ)に至ることは難しくはないのだ(『信心銘』)という教えに従い、このサイトでお薦めしているように坐禅をすることであると思う。

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