「少年アーナンダ」

『無盡燈』2019年7月号の表紙絵

2019.12.27

少年アーナンダ

少年アーナンダ

 

 仏教の基本は一人の私のより良き生き方にある。
常に私におきかえて世の中を見なければいけない。
縁起(ものごとの根元の探究―釈尊はその源は無明〔むみょう〕(無智〔むち〕)とはっきりと説かれている)、
無常〔むじょう〕(常ならん)と四苦八苦の現世を認識し、美しさや喜びを感ずることにある。

 アーナンダ(阿難)は釈尊の従弟〔いとこ〕にあたり、また25歳以上若かったと伝えられている。
十大弟子の中で「多聞〔たもん〕第一」と言われるのは、
釈尊の身近でお世話をし、数多くの説法を聴いていたからに他ならない。
60歳近くの齢となられた釈尊は身の回りの用事をしてくれる弟子を求められた。
多くの仏弟子が申し出たが、若く、従弟にあたるアーナンダに決められた。
律儀〔りちぎ〕なアーナンダはその役にあたるに際し、
釈尊への布施の折の食事や衣の施しなどは受けないという自身の戒をたて、
その後の釈尊と共にされた。釈尊は説法をするのに、
同じことでもわかり易くするために対機説法〔たいきせっぽう〕という、
人によって話し方を変えられた。
そのためにアーナンダは余りにも多くの対機説法を聴いていたために、
悟りの境地、アラハン(阿羅漢)にはなれなかった。
アーナンダがアラハンの境地に達したのは、
実に釈尊の死後初めての結集(〔けつじゅう〕経典編纂会議)の早朝だったという。

 アーナンダの晩年や、若年時の出家の動機などはほとんど伝えられていない。
晩年にアーナンダは仏法をよりどころにしてくれない人が多く、
ガンジス河で入水自殺をしている。
以前に桜部建先生は、仏教では自殺を善とも悪とも言わないと
おっしゃったことがある。
その時は解らなかったが、仏教は全ての縁、縁起によっているのであると
思えるようになった。
人は少年の項からの性格や天分は余り変わらない。
アーナンダの少年の頃はと自分の中で想像を膨らませて描いた。

畠中 光享(1970年文学部卒業)

日本画家 インド美術研究者

和尚からの蛇足

 阿難尊者は上に書いてある通り、「多聞〔たもん〕第一」と言われ、
釈尊のおそばに仕えて多くの説法を聞かれていた。
のちの結集で果たした役割は大きなものがあったであろう。
もし阿難尊者がいなければ、釈尊の言葉の多くはもしかして
伝わらなかったかもしれない。

 その存在の大きさは、臨済宗の修行道場で読む朝課〔ちょうか〕で
逓代伝法仏祖の名号〔ていだいでんぽうぶっそのみょうごう〕として、
「釈迦牟尼仏-摩訶迦葉尊者-阿難尊者-・・・」と読まれていることでも分かる。

 大谷大学同窓会報の表紙にこの「少年アーナンダ」の絵を見たとき、
引き締まった少年らしい真剣さをうちに秘めた姿に引きつけられた。
それを描いた畠中光享画伯の力量に感服〔かんぷく〕した。

 法話でよくお話しする「爪の上端〔うわば〕に置ける土」(※1)で、
説法に出向く釈尊に付き従うアーナンダに、
釈尊からやさしくお説きになられたイメージは
この「少年アーナンダ」の絵に通じるものを感じる。

 

※1「爪の上端に置ける土」〔つめのうわばにおけるつち〕

ある日、釈尊は弟子の阿難尊者に、足もとの土をすくって爪の上に乗せた。
「阿難よ、この大地の土と、爪の上の土と、どちらが多いか?」
阿難は答える「それは大地の土です」
釈尊は言った「そうだ、この世に生きる命は大地の土ほどもあるけれど、
人として生まれる命はこの爪の上の土ほどしかないのだよ。」

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