「紅葉狩り」考

  2019.11.30 

なぜ、「紅葉狩り」というのか、岡本健一氏は民俗・考古学者の近江昌司さん(天理大学教授)の解釈を引用して次のように書いている。

 『春三月、山の神が桜の精に変身して、風とともに花びらを散らせながら、山から舞い降りてくる。桜の精(サ)は、五月(サ月)になると、早苗(サなえ)のなかに精魂=穀霊となってこもる。

 そこで、白い桜の花が咲くと、食べ物と花見酒をもって桜の木の下に集まり、花(山の神)をほめそやしたうえ、神人共食し、その年の豊かな実りを前もって祈り祝う。これが花見=桜狩りだった。

 稲魂(山の神)は、秋の豊作を見届けたあと、山へ帰っていく。「山に着いたぞ」というシグナルがわりに、山を真っ赤に染める。これが紅葉だ。赤は聖なる色。神のシンボルに似合わしい。

 すると、人びとは、やはり酒と食べ物を用意して紅葉の下に集まり、「ご苦労さまでした」と山の神を労(ねぎら)う。この宴が「紅葉狩り」……

 図式的に示すと、山の神→桜の精→早苗の稲魂→稲魂の山帰り→色づく紅葉というふうに、神は循環して、深い山のなかで眠りの季節に入る。サクラが、豊作の前祝いをする<予祝の花>なら、モミジは、豊作に感謝し神をなぐさめる<鎮魂の木>にあたる。』

(1994.11.25毎日新聞より)

和尚からの蛇足

  弊寺にはかつて見事な紅葉をする大モミジの樹が境内にあった。(左記の写真)
 紅くなると遠くからもよく目立つほどで、カメラ愛好家はその頃になると撮影に来られていた。夏は境内によい木陰で憩いの場を提供してくれ、ありがたい存在であった。その木陰では暑い日でも、清涼感を感じることができた。

 晩秋の11月下旬になると、盆地状の地の寒暖差と湿気の多さのおかげ、また山がさえぎってくれるため海が近いのに潮風の影響を受けず、すばらしい紅葉を楽しむことができた。毎年11月最終日曜日には「モミジ祭り」を開催し、つきたての餅や豚汁・おにぎりを用意し、紅葉狩りを楽しんでいた。

 12月中旬にもなると落ち葉が降り積もり、集めるといくつもの落ち葉の山ができ、

モミジが紅葉するとその木の下で集い、食べ物や飲み物を用意してくつろぐことが、なぜか心のより所を感じるのである。

子どもたちの格好の遊び場となった。

 残念ながらその樹もいつしか樹勢がおとろえ枯れ枝が目立つようになり枯れてきたので、伐採をせざるを得なくなった。現在はその大モミジの実生の苗が境内や裏山にあちらこちらに生え育っている。元の樹のあった場所には最近枝ぶりのよいもみじの樹(約三十年生)を植樹した。将来大モミジに育ってくれることを期待している。

 さて上記の「紅葉狩り」考の文章は我々の心の中にあるモミジに対する日本古来からの思いが説明されているように思う。

 これは仏教に関わらないかもしれないけれど、その心は大切にしたいと思う。

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