「静かな生命」

2020. 4.10

 

あかつき便り(2019.8月号) 川上弘美の私のまいにちより

 板の間の多い家に住んでいる。住みはじめて十年近くになる。ふつうに踏んで歩く場所の板はさほど傷ついていないが、食卓のまわりの板は、椅子を引いたり押したりするために、こまかな傷でいっぱいだ。

 板が経年変化するのは人と同じで、古びてくること自体は、実はなかなか好きだ。ただ、椅子の上の傷だけは、少しばかり痛そうで、きれいに直したいとは思わないのだけれど、傷が浅くならないかなとは思っていた。

 ある日、建築関係の仕事をしている知人に傷のことを相談してみた。すると彼女は聞く。「掃除はどんなふうにしていますか?」「掃除機をかけて、それからぞうきんがけを」

 それならば、と彼女は続けるのだった。傷のある場所を拭く時、ぞうきんに水をたっぷり含ませて、拭き取るというよりもうるおしてあげる気持ちで、拭いてみてください、と。

 そんなことで傷が浅くなるなんてと、半信半疑のまま、次の掃除の時によくぬれたぞうきんで拭いてみた。

 驚いた。傷が、ほんの少し、薄くなったではないか。水分をふくんだ当座だけのことかと思ったけれど、しばらくしても、薄いまま。知人は、「木は、伐〔き〕られたあとも、うるおすとよみがえるのです」と言っていた。植木に水をやる気持ちで、それからは折々板をうるおすようにしている。もう生きてはいない木なのだけれど、静かな生命を持ったものと共に暮らしているような、不思議な心地である。

川下弘美 かわかみ・ひろみ

 東京都生まれ。1994年、『神様』で第1回パスカル短篇文学新人賞受賞。96年に『蛇を踏む』で第115回芥川賞を受賞。2001年には『センセイの鞄』で第37回谷崎潤一郎賞受賞。最新長編は『森へ行きましょう』

和尚からの蛇足

 この題名の「静かな生命」という言葉に新鮮な感覚を覚える。

 われわれ人間やペットの動物たち、庭や山にある木々は生きているから当然であるが、伐られて何年も経た木に生命があるというのである。それも静かな生命をもったものとして共にあるというのだ。

 長い年月を経てきた歴史を等閑〔なおざり〕にせず、育〔そだ〕っていた時のことを大切にすることはありがたいことである。それを見つけ、気づくことはもっとありがたいことであろう。

 そのようなものを慈しみ、愛情を抱く心を是非育〔はぐく〕んでいきたい。
特に若い人にと思うかもしれないが、何歳になってからでも遅くはなかろう。今からでも決して遅くはないと自分に言い聞かせている。

 「静かな生命」という味わい深い言葉をこれからもひとつの指針にしていきたい。

2 thoughts on “「静かな生命」

  1. 渡辺浩次 より:

    こんにちは
    毎回楽しみに拝読させて頂いています。
    心温まるブログに自分自身常の日常生活で
    振り返ること改めることを与えられ気持ちが落ち着きます。
    ありがとうございます。

  2. gaunjikame より:

    こんにちは
    ページにアクセスして、ブログを読んでくださりありがとうございます。
    小さなことにも目を注ぐことを心がけ、続けていこうと思っています。

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