「役に立つ」「役に立たない」から離れる

2020. 9.18

役に立つこと 横田南嶺老師のブログより

(中略)

柳澤先生の文章に、
「……人間には、人を癒やす能力が備わっている。また、癒やしを受ける能力も備わっている」
と書かれていて、そのあとに
「しかし、人を癒やす能力は、傷ついた相手を「助けよう」と思ったその瞬間に失われてしまう」というのです。
では、どうしたらいいのか、
柳澤先生は、
「まず「癒やす」という気持ちを捨てることです。そして、苦しむ人を、あるがままの状態で受け容れ、いかなる価値基準でもその人を判断しないことが肝心なのではないでしょうか」と言うのです。
そして、
「ちょうど太陽の照りつける道を歩んできた旅人に、涼しい木陰を提供する大樹のように、無心になることです」と説かれているのです。
まさに、これは「無分別」「無心」が真の慈悲になることを説いているように思われて嬉しくなりました。
まずは、「役に立つ」「役に立たない」という判断を離れて、「無分別」であることです。
それには、やはり、一切の善悪を離れて坐ることでありましょう。
坐ることにまで、善悪や、役に立つ、立たないなどの判断を入れてはならないのです。本当にただ「坐る」、ただその場に「いる」だけなのです。そこに徹するのであります。

 

※柳澤桂子 プロフィール
ヤナギサワ・ケイコ

1938(昭和13)年、東京生れ。お茶の水女子大学を卒業後、分子生物学勃興期にコロンビア大学大学院を修了、慶應義塾大学医学部助手を経て、三菱化成生命科学研究所の主任研究員として活躍中に、激しい痛みとしびれを伴う原因不明の病に倒れる。以後30年以上を闘病しながら、医療問題や生命科学に関する執筆活動を行っている。『お母さんが話してくれた生命の歴史』『卵が私になるまで』『二重らせんの私』『生きて死ぬ智慧』など、著書・受賞多数。

和尚からの蛇足

横田南嶺老師のブログから引用です。
柳澤桂子先生の名前は有名ですので、知っている方も多いでしょう。

孫引きで柳澤先生の文章を載〔の〕せるのは気がひけるのですが、大事なことですので、使わせてもらいました。

以前(2020. 7.10 無心になること)にも無心なることの大切さを書きました。ここでも繰り返しになりますが、「「癒やす」という気持ちを捨てることです。そして、苦しむ人を、あるがままの状態で受け容れ、いかなる価値基準でもその人を判断しないことが肝心」で、横田南嶺老師も「「無分別」「無心」が真の慈悲になること」と言っています。そして「一切の善悪を離れて坐ること」「本当にただ「坐る」」ことに徹することと締めくくっています。

もともと人間の持っている能力を十二分に発揮〔はっき〕するにはそうしなければできないということです。大乗仏教の利他行も「無分別」「無心」でなければそれはできないという教えなのです。

謙虚になり、「坐る」に徹してみましょう。

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