燈台守〔とうだいもり〕の句に励まされ 酒井大岳

                                                             2020. 6.26

燈台守〔とうだいもり〕の句に励まされ 酒井大岳著

――若き日のわたしの支え

 今から四十五年も前のことです。貧しかったわたしは、生活費や学費を働き出すために毎日行商をしており、大学の門をくぐることは滅多にありませんでした。そのため教授や学友たちからほとんど無視され、授業にはついて行けず、心はさびしく、ひがみっぽくなっていました。

 そんなある日、世田谷区のある書店でわたしは一冊の豪華な句集と巡り会いました。「六百五十句』(虚子)――これを見て、わたしは動けなくなってしまったのです。

 いきなり聞いたぺージに、なんと、わたしのための一句があったではありませんか。

○霧〔きり〕如何〔いか〕に濃〔こ〕ゆくども嵐〔あらし〕強くとも

 大きな本で一ページにたった一句。この俳句の重さほど重いものを、わたしはいまだに知りません。

 その句の左下には小さく「十月四日、我国燈台創設八十年記念の為め、燈台守に贈る句を徴〔ちょう〕されて、剣崎燈台吟行〔ぎんこう〕……」とありました。つまり大俳人高浜虚子が燈台守を励ました句だったのです。これをわたしは「私のための句」と受け取ってしまいました。

 七百円という大金はありません。かばんの中にはその句集の三倍の厚さの『正法眼蔵〔ぼうげんぞう〕』という仏教書があるだけです。わたしはそれを店主のところに持ってゆき、近いうちに必ず受け取りに来るからと、それを質〔しち〕に入れて句集を抱いて帰ったのです。

 「霧如何に濃ゆくとも嵐強くとも」――運動靴を履いて物売りをしていたわたしに、これほど力強い励ましの言葉があったでしょうか。わたしはこの句で手書きの〝しおり〟を作り、あらゆる書物のあいだにはさみ込み、ポケットに、財布の中に、押し込みました。そうして、物を売り歩いてゆくわたしの背中にこの句をぴたッと貼り付け、「頑張〔がんば〕れ!」と遠くから励ましてやりました。

 『六百五十句』には、わたしのための句がたくさんありました。

○一時〔いっとき〕はたとひ暑さにあへぐとも

○下萌〔したもえ〕の大磐石〔だいばんじゃく〕をもたげる

○去年今年〔こぞことし〕貫〔つらぬ〕く棒の如〔ごと〕きもの

○炎天にそよぎをる彼〔か〕の一樹〔いちじゅ〕かな

 ことに最後の句はわたしに希望を与えてくれました。わたしにとって「一樹」はお釈迦さまでした。暑いのに、この一樹は涼しそうにはるか彼方でそよいでいるのです。その樹に向かって、わたしは汗びっしょりになって歩いて行けたのでした。

 「霧如何に」「一時は」「去年今年」などの句は、わたしの中で『法句経』と重なっていました。

 

精進〔はげみ〕こそ不死の道

放逸〔おこたり〕こそ死の径〔みち〕なり

いそしみはげむ者は

死することなく

放逸〔おこたり〕にふける者は

生命〔いのち〕ありとも

すでに死せるにひとし (二一)

 

人もし生くること

百年〔ももとせ〕ならんとも

おこたりにふけり

はげみ少なければ

かたき精進〔はげみ〕に

ふるいたつものの

一日生くるにも

およばざるなリ

 

 どんなに霧が濃い日でも、嵐が強い日でも、「燈台守のように一日の怠〔おこた〕りもなく励もう」と、毎日自分に言って聞かせながら、汗を流して働きました。

 わたしにとって俳句と仏教は、若い時分から切り離せないものになっていたのです。

 

※『法句経』

 原始仏教の経典。現存する中で最古の経典の一つといわれる。全編が四百二十三の詩で構成され、生き方の真理を平易に説いている。

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著者について

【酒井大岳先生ご経歴】

 昭和十年、群馬県生まれ。駒澤大学仏教学部卒業。長徳寺の住職や教師を務めながら、俳人としても活躍。日本社会文化功労賞、朝日俳壇賞などを受賞。『酒井大岳の「語るより歩む」』ほか著書多数。ユーキャンCD講話集『りんりんと生きる」『さらさら生きる』などに出演。令和二年二月四日逝去。

和尚からの蛇足

 これは『やすらぎ通信』という紙上に「俳句と仏教」というコラムに書かれたものです。先生は今年の二月四日に遷化されたとのことです。

 ここでは若い頃の心に深く残っている大事な思い出を回顧しています。そして出会った俳句が若いころの苦しい生活の中で、如何に支えになっていたかを述べています。

それが「若い時分から切り離せないものになっていた」とも書いています。

そういう俳句と出会ったのも苦しい中で一生懸命日頃から努力をされていたからでしょう。

その環境や努力のどちらを欠いても、そういう心境に達することはできなかったと思います。

 高浜虚子の「霧如何に濃ゆくとも嵐強くとも」は燈台守を励ました句ということです。現在日本全国の燈台には燈台守はいない時代になってしまいました。「燈台守」という語は今では死語となってしまいました。しかし、燈台を守ることの大切さや大変さは理解することはできます。

 子守や墓守という語はかろうじて現役だと思いますが、これもそのうちに使われなくなるかもしれません。しかし、老人がいれば老人守、障害者がいれば障害者守、苦しんでいる病人がいれば病人守、食事に困窮している人がいれば困窮者守などなどが必要なのはこれからも変わらないでしょう。
 教職員は学校守、主婦は家庭守、住職は寺守、医者は病院守、看護師は病室守などあえてその役割の大切さを自覚することはこういう時代だからこそ意義があると思います。

 燈台守の句は燈台守のための句とはいえ、それを自分のための句と受けとめたある若者のように、一人ひとりが自分の置かれたところで一生懸命やっていることを励ますことは貴重なことです。

 だから、どの句も「わたしのための句」と受けとめることの意味があります。そういう受け止め方ができるということの素晴らしさはなかなか得られるものではないことです。
 酒井師はそれだけに出会った大事な句の言葉を忘れないようにし、ある句にあった「一樹」をお釈迦さまに置き換え、歩んでこられ仏教を深められたわけです。

 環境も時代も異なっていますが、そこにわれわれにとって大事なヒントとなるものがあることを見逃してはいけないでしょう。                   謙虚に地道に歩んでこられた姿の尊さに心を打たれます。

 

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