禅とマインドフルネス

2020.  8.  7

①宗教性捨てた瞑想 「悟り」忘れた自我の道具に
社説(2017.10.18中外日報より)

 「マインドフルネス」が流行〔はや〕っている。これは要するに坐禅から宗教性を取り除いた瞑想で、精神安定上効果があるという。
 (中略)
 坐禅から宗教性を除去するとはどういうことなのか。禅者となる伝統的な道や、禅会に参加して規矩を守る煩わしさを避けて、気軽に赴ける瞑想の会を組織するのは一般の要求に合うかもしれないが、せっかくの宗教への道を捨ててしまうのはいかにももったいない。富士山に登って頂上を極めず、2合目あたりでちょっと良い空気を楽しんで下山するのに似てはいまいか。

 本来「宗教的実存」は自我より深い生を踏まえた「自分自身」となることを求めるものなのに、世俗化されて、単なる「自我の主体性」を求める主義へと変貌した。宗教性を捨てたマインドフルネスも同様に、自我の一時的な心理的安定をもたらすだけで、「悟りを忘れた自我」の文明となり終えた現代を克服する道にならないばかりか、自我の真の安定にも達し得ないのではないか。

 

②円覚寺横田南嶺老師
お寺で対談 其の五
林香寺住職/精神科医 川野泰周氏との対談

マインドフルネスと禅
(前略)
川野 よく「マインドフルネスと禅」の違いは?と尋ねられたときにお答えするのはマインドフルネスはプロトコール(あらかじめ定められている規定、手順、試験/治療計画などのこと)化されている。ある手法のこと。
よく治療・研究などで使われる。例えば抗がん剤のプロトコールといわれれば、ある薬とある薬とある薬の3種類をを何週間投与するというプロトコール。治療の一つの枠組みのことをプロトコールという。マインドフルネスは8週間にわたって最初の2週間はボディスキャン、次に呼吸の瞑想・歩く瞑想 決められたことを提供するので、それをやった人とそれを受けていない人との比較研究が出来たためにそれがエビデンス 科学的なデータになったと言う話をよくするのですが、本当の本音を言わせていただくと本当のプロトコールになり得ないと思っています。
マインドフルネスは完全にプロトコール化すること――構造化する(構造を作るという意味)完全に構造化されたプロトコールは存在しないと思うですね。なぜならば、これはよく本などにも書かれているのですが、マインドフルネスを教える人は自分も必ずマインドフルネスを継続している人であるべきであると海外の本によく書かれている。それは禅のお師家さんが必ずご自身も禅の修行を長く続けてきた方が禅の指南役になるということと共通性が多い気がしている。

 もし自分がプロトコール化されているのであれば、自分もマインドフルネスをやっていなくてもいいわけです。理論上は。教科書通りにそれを忠実に伝えてやってくださればいいわけです。それが何故自分がマインドフルネススペシャルでなけれいけないと書かれているのかは、その方が実践をしている人たちの悩みであったり瞑想がうまく出来ない人たちの相談であったりを実体験に基づいてアドバイスすることまで含めてマインドフルネスだからなのです。

 ここをやはり知っておかないとマインドフルネスをただ耳学問として理入だけでやったつもりなる人たちがいてそういう方は長く続けられないことがありますのでやはり理入と行入 行いから入るという治療も両立させていくためには自分自身が瞑想の実践者であることが望ましい。そんなことからマインドフルネスとの禅の違いは何ですかと言われるとほとんど同じですと言う結論になるのですね。

横田 プロトコールが確立されてしまうと本質が失われていくということは禅の世界でも同じですね。
川野 以前に講演でこういう話を聞いたのですね。形があって心が消えてしまうということに対する検証について話されていたように思うのですね。
形に心が伴っていて本当の営みになると感じたのです。
横田 それを体験させるために時には形を崩してくれということが時には必要になると思っている。作ることと壊すこと両方必要であるのです。
(後略)

※二入四行
達摩大師が説いたとされる。修養には文章から得る所の知識・認識から入る理入(りにゅう)と、現実に於ける実践から入る行入(ぎょうにゅう)の2つに大きく大別される

川野泰周さん
臨済宗建長寺派林香寺住職
RESM新横浜 睡眠・呼吸メディカルケアクリニック副院長。精神保健指定医、日本精神神経学会認定精神科専門医、医師会認定産業医。慶應義塾大学病院精神神経科、国立病院機構久里浜医療センターなどで精神科医として診療に従事。現在、寺務の傍ら都内及び横浜市内のクリニック等で精神科診療にあたっている。うつ病や不安障害、PTSD、睡眠障害、依存症などに対し、薬物療法や従来の精神療法と並び、禅やマインドフルネスの実践による心理療法を積極的に導入している。著書に『「精神科医の禅僧」が教える 心と身体の正しい休め方』(ディスカバー21)などがあり、共著や監修する書籍も多数上梓。

和尚からの蛇足

 「マインドフルネス」について二つの文章を取り上げた。一つは3年前に宗教関係の業界紙 「中外日報」に載っていたマインドフルネスに関する社説(①)、もう一つは鎌倉円覚寺が発信しているビデオ説法から横田管長さんと【林香寺住職/精神科医 川野泰周氏との対談】の一部をテキスト化したもの(②)です。

 マインドフルネスについては詳しくないが、禅から取り入れられ米欧で精神療法に使われるようになり、一般の人も関心を持つようになったようである。果たしてマインドフルネスというものが禅とどう違うのかに関心を持つ人は多いと思う。

 マインドフルネスに対する厳しい見方の一つが①の文章のような意見である。禅者に多い見解を示し、宗教性を取り除いて「自我の真の安定にも達し得ない」と断じている。私を含め、禅宗の僧侶は多分にこういう見方をしているのではないかと思う。本当のところは分からないけれど、横田管長さんもかつてはこういう見方をしていたフシがあるように思う。

 しかしながら、川野師の著作や講演に接する機会が多くなり、このように親しく対談をされるようになって多少修正されるようになったように思うが、これはあくまでも憶測であるので、間違っているのなら訂正します。
 現役の精神科医として日夜診察に当たられている川野師は、大学を初め各医療機関で患者さんに接し、研究治療をされている。一方で禅の修行道場に入られ、禅の修行を積まれてきている方である。

 マインドフルネスをどのように思われているのかは興味が湧くところである。別の所で治療に当たりマインドフルネスの有効性を強調されている。その上でここにあるように
「マインドフルネスとの禅の違いは何ですかと言われるとほとんど同じですと言う結論になる」と述べられていることが、当然といえば当然だが、少し意外であった。

 患者さんの治療でその成果を常に診ておられるのであるから確かであろう。それを無視することなど出来るものではない。それならばもし自分に問うとしたら、禅とは何かという大事なことに戻るのである。

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