禅僧 藤田一照さんとの対談 横田南嶺老師

2020.  9.  4

禅僧 藤田一照さんとの対談

 横田南嶺老師

〈中略〉

・ティク・ナット・ハン師からの一言
 たまたま朝早く伊勢原での五日間のリトリートの時に朝早く起きたので、会場を歩いていたら向こうからティク・ナット・ハンさんがお弟子さんを連れて歩いてこられた。私は合掌をして立っていたら、指で(私を)呼び寄せるようにしておられて「一緒に歩きましょう」と手をつないで一緒に歩いた。こちらはドキドキして、まるでスーパースターに会っているようですよね。ダライラマさんが横に歩いているような感じと思っていいかもしれないです。歩いた後に宿舎に帰って「ありがとうございます」と合掌した時に言われたのが「一照さん、スマイル」と。
横田 そうですね。その話を訊きたいなと思ったのです。これ(『愉しい修行がもたらすもの』藤田一照著の本を手にして)が去年ですか?鴻盟社から出た本ですね、最初に書かれていることですね。日本でのことですか?
藤田 あの時たまたま朝早く目が覚めて、散歩していなかったらそういうことはなかったですけど、お別れする時に「一照さん、スマイル、プラクティス シュッドビー エンジョイアブル」――「一照さん、笑顔だよ!修行は愉しいものでなければいけませんよ!」と言われたことが大きかった。
横田 そうでしょうね。
藤田 一照さん、よく笑うって今よく言われるんですが、当時はまだそうではなかった。ここ(円覚寺)へ初めてきた時「新到3年白歯を見せず」と言われたんです。「禅宗の修行は苦修練行〔くしゅうれんぎょう〕なんだ。そんなニコニコするような余裕などあるわけがない」――「新到〔しんとう〕(修行道場に入ったばかりの修行僧のこと)は3年間にっこりするとはできない。竹箆口〔しっぺいぐち〕(口を真一文字に閉じる)でいる。だからみんなで接心の最後の集合写真を撮るでしょう。みんなこう(口を真一文字)している。そういうことがあったんです。だからティク・ナット・ハンさんは臨済正宗の方ですから、中国からベトナムに伝わったので、そういう方だと無意識に思い込んでいた。口を真一文字にしていたら「スマイル」と、提唱も「スマイル、スマイル」って言うんですね。随分違うなって・・・。
横田 そうですよね。

藤田 当時まだ僕は家族が来て、子どもが生まれたんですね。長女が92年ですから3歳ぐらいで、置いてきているんですけど、当時はまだ小さいとはいえサンガと家族との挾間〔はざま〕で、こっちにいるとこっちが疎かになってしまう。一体如何〔どう〕すればいいんだみたいなことがあったせいもあるんです。なにかヘビーな感じでいたのを見抜かれたのかもしれないと思っている。そう言えば、今から反省すると、苦労して修行していることが自分のアイデンティティーを置いていた。こんな修行をしているんだから偉いんだみたいな所があったかもしれない。そういうところを見抜かれて言われたのかもしれない。どうしてそういうことを言ったんですかと聞き返せなかったんです。当時の僕にとっては鉄槌〔てっつい〕と言うよりは優〔やさ〕しいアドバイスを頂いたなあと思っていて、考えてみると今逆に思い返してみると大事なお言葉をいただいたんだなあということが後になって分かる。

横田 そうですね。「坐禅は習禅にあらず」。道元禅師のいちばん大事な教えと繋〔つな〕がってこられたわけで、われわれはどうしても「習禅」――プラクティスなんですね。プラクティスというと目的が向こうにあって・・・という感じですね。
藤田 坂を登って行くみたいな。
横田 われわれの修行なんてものは「ひたすら歯を食いしばって登っていくんだ」ということに意味があるんだ。しかしティク・ナット・ハンさんとの出会いから深まっていくんですよね。
藤田 それだけが原因ではなくて、当時も三十代の後半なんですけど――もう四十にさしかかる頃で、多分僕の中でも大きな変化――ゆっくりですけど起きていたのかもしれないです。結婚したということもそれなんですね。最初の十年間はとてもそんな余裕がない。自分一人だけでも重たいのに、とても責任を持つ関係なんか持てないし、そういう場に家庭生活なんてこころ的に余裕がなくて無理だろうと思っていたんです。それは僕にとっては実は巧妙な逃げではないかというような思い返しみたいなものがあった。多分大きな変化が自然に起きて入る時にダメ押しではないですがその時にティク・ナット・ハンさんのそういうことですね。

 もう一つ言われたことが、僕に直接ではないんですが、例えば予定が終わって宿舎をお出になられる時お見送りに宿舎に行ったんですけれど、その時色紙に書いていただいた言葉があって〝There is no way to hapiness, Happiness is the way″「幸せへの道はない。幸せが道である」
僕らはHapinessって「幸せ」または「涅槃」でも「悟り」いいんですが、幸せになろうと思って道を歩んでいる。というように道と幸せを別に考えているわけですね。でもそういう道はないよ。――There is no way to hapiness。Happiness が道でなければいけない。と言われて、Happinessは向こうではなくて歩いている一歩一歩がHappinessなんだ。そういう歩き方をしないといけない。僕はいずれHappinessになるだろう、今はしんどいけれど苦しいけれど、いずれHappinessに導いてくれるんだと構えとして持っていたなあということがあって、今Happinessでなければいけない。で、大きな違いがあってそういうことは頭の中で、言葉としては聴いていたし道元さんの修証一如とか修行と悟りは一つでなければいけない、修行の果てに悟りあるのではないんだ。このことは聴いてはいたんだけれどやっぱり素通りしていた。僕の中にそれに引っかかるようなものができてきたと思うんですね。それはどこから来たのか分からないですけど、オーガニックに起きていた。 色んな人との出会いとか、それまでに十年くらい人の中で座っていたので、そういうことが発酵して受け取れるようになったのかなと思っている。そういうこともあってティク・ナット・ハンさんから言語化された形で言われたことが妙に響〔ひび〕いてそういうことも発酵を促進してくれた触媒〔しょくばい〕になったのかなあと思っている。それで四十代前半で修行感や坐禅感が変わっていったということはあります。振り返るとですが・・・。

横田 正法眼蔵の有名な「生死の巻」の「ただわが身をも心をも、はなちわすれて、佛のいへになげいれて、佛のかたよりおこなわれて」を一照さんさんもよく引用されていますけれど、まさにその通りであったんだと確信が得られてきたのが、そういう諸々のものが
ティク・ナット・ハンさんとの出会いや言葉など色んなものが準備されていたのだなと。元々道元禅を学んでこられた内山興正師なんかがすべて熟成されて、佛の方になげいれるというこちらの力を費〔つい〕やすものはないということになったのが四十の頃ですか?
藤田 それまでは自分が何かして手に入れるみたいな・・・その自分というものは狭い自分で、この皮膚の内側で「俺、俺」って言っている自分ががんばって手に入れるという構〔かま〕えがずーとあり、強かったんですね。その構えで修行も他の人がやらないような、やれないようなことをやるのが修行だということがあって、だからもっとがんばらなければいけないということがあった。そういう構えでやっていたんでしょうね。

 そうしたら笑えない、スマイルできない、愉〔たの〕しむこともできない。要するに僕がよく言う「受験生的なマインドセット」で「合格するまでは」「人よりも何倍もがんばるんだ」みたいな、それがいいことであるんだみたいなマインドセット、セットいうのはいいなと思っていて、色んな現れ方をする一つのセットになっているんですね。ガンバリズムって色んな局面で現れてくる。だから一つだけ入れ換えても駄目で、セットごと入れ換えないといけないなと感じがしていますね。

・坐禅のやり方、指導の変化
 変化をしてくると色んなものが僕を助けてくれていて、準備してくれている。すぐそこまで待機しているのに僕のマインドセットでがんばっていると全部シャットオフしている。「まだできない。まだ足りない。」みたいに思ってしまう。ですがサポートやヘルプはすぐそこにあるのに受け取れていなかった。それを受けとめて、開いてみると、道元禅師が言うように安楽の法門というものが少しはテイストが分かるように、坐禅のテイストが変わって、今は自分一人で背中を真っ直ぐにするのではなくて、それは僕に思いが付いている真っ直ぐなものを自分の体に押し付けているだけという風に見えるようになったんですね。もっと真っ直ぐにみたいな、真っ直ぐさを基準を作って合わせるのではなくて、その都度真っ直ぐさが生まれるような条件を作ればいいんだと。

 赤ちゃんなんかは別に坐禅を教えたわけでもないのによく写真を載せていますけれど、楽に努力感もなく坐っている姿というものが可能なのではないか。実は僕は大学院の時は赤ちゃんの運動発達でそういうのを見てたはずなのですが、そういうのが繋がったんじゃないかと思って、坐禅の本に赤ちゃんが楽に坐っている写真を載せたいと思って載せてもらったんです。なので床から支えられるという感じをどうやったらフルに受けられるかということを探究するようになるわけです。床との繋がりなしで僕だけでというのとは全然違う世界がそこには広がっている。だから呼吸に関しても僕は力んで吸うのではなくて空気の方が入ってきたくなるような条件を作れば、僕はしていることはないのにずーと入ってくるという感じがあるわけです。そうやって全部裏返っていった気がしますね。
 心も何かに集中するのではなくて、外からやってくる光や音や匂いや味が、体からやってくる微細な感覚を受け取っていれば別に集中する感じがなくても心はそんなに彷徨〔さまよ〕わなくなる。そういうことに気がついてくると、ああなるほど道元禅師や仏典に書いてあることが、「軽安〔けいあん〕」というものは僕が努力をするからできるのではなくて、僕が努力をやめていく、余計な努力をやめていくことで、贈り物のように恵まれてくるものだと実感で分かってくるようになってくる。それで随分自分の坐禅のやり方とか指導の仕方も変わっていきましたね。まだ変わり中なのですが、方向としてはこれでいいんじゃないかなというのがあります。やはり指導の時にふと昔のマインドセットから出てきている表現だなと感じることがある。しゃべってから今のは訂正しますと。今のだと命令ぽく聞こえるからと。

 今はこうして下さいではなく、どうですかと状態を訊くような質問の形になっている。「息に集中して下さい」というと息に集中するようになるんですけれど、今の息がどこでハッキリと感じられますか?というようにそれぞれに訊いて下さいとなると、集中するのではなくて、探しだすわけですよ。で、その息は長いですか短いですかと言うと、集中していなくても息に気が向く。そういう指導の仕方、こうしなさいという内面化した形になってしまうから、そういう昔風の「こうすべき」ではない坐禅の配慮の仕方が考えられなければいけないな。まだ時々指導者的な「こうすべき」がポロッと出てきたりする。まだまだ途中という感じがする。

・根源的なシフト
藤田 する坐禅からしない坐禅、やめていく坐禅。
横田 そういうことによって気づかされる。
藤田 発想の転換みたいなものを一人ひとりの中で、僕の発想の転換を押し付けるとまたそれがすべきになって伝わってしまうので、これはすごく難しいと思います。下手をするとしない坐禅をするべしとなってしまうのです。
横田 迷いというのは深いというか。内山老師のようにもの足りようの思い。
藤田 僕らはどうしても手応えを欲しがってしまうので・・・。
横田 それで世間の上で満たされないと思って坐禅に来るんですけれど、しかし坐禅の上でもの足りようの思いを求めてしまう。どれだけ坐ったとか、呼吸が深くなったとか、呼吸法をやったりとか、みんな何かやって達成したい。
藤田 この人よりもできているだろうというような。娑婆と同じものを持ち込んでしまう。
横田 修行の世界に持ち込んでしまう。そうするといつまで経っても、苦しみは終わらないですね。
藤田 そうなんですね。その切り替え、ラジカルなシフトっていうんですが、ラジカルは「根源的な」という意味で、上のコンピュータで言うとOSを替えないと、同じOSでアプリケーションだけ替えても駄目だという言い方をするんですね。

・繰り返し向き合うこと
藤田 だから仏教が目指しているのはそこの入れ替えを目指していると伝えないと同じマインドセットをそのままにして、やることを替えれば何とかなるみたいな、僕自身がそうだったんですね。それは本当に根深いなあということで、一旦分かって帰って行っていいんじゃなくて、またぶり返してくるということで、なかなか根絶やしにはできない。その都度その都度・・・。それはブッダが菩提樹の下で降魔成道した時にも、した後〔あと〕の方に特に悪魔が現れているという風に描かれている。そうなんだろうなと思っている。
 ブッダは悪魔が二度と現れることがないような人ではなくて、悪魔が現れた時に繊細に気がついて、しかもやっつける力を持っている人ではなくて、ちゃんと話をして対話がされているわけですよね。何か特殊な武器を使って、首を切ったりするのではなくて、ちゃんと悪魔と話をして、悪魔の方からこの人にはかなわない。私のことを分かっている人なので、こういう人には手を出せないと言って悪魔の方が去って行くような人。だから一生そういうことが続いた人なので、死ぬまで・・・。大事なのは悪魔に籠絡〔ろうらく〕されなかったということ。僕の場合はしょっちゅう籠絡されているのかもしれない。またそれを反省してということ。ブッダは一生悪魔との対話を契機に成熟し続けた人、修行を続けたということ。

 だから最後の遺言というか最後の言葉も「不放逸にして修行を完成させなさい」というのもまさに実物のブッダそのもので、死ぬことまで修行されているわけなので、その通りで、そういう風に人生を生きなさいといわれたのだなあ。ただがんばりなさいではなくて「不放逸にして」で、悪魔が現れた時にはいい加減にしないで、ちゃんと悪魔と対話をしてそのことを契機にして修行を深めなさいという意味で言っていると僕は理解している。まさにそれ「私がやったようにあなたもやりなさいよ」「それしかないよ」仏教を一言で言うんだったらという話ではなかったのかなあと思っている。

 だからこれは終わりがない、どこまででも続いていけるし、それこそenjoyableで愉〔たの〕しんでいける。今までだと煩悩がでたり、間違ったりした時は自分を責めたりするようなことがあったけれど、反省と責めることは違うので悪魔が出てきたらちゃんとそれに対処してそこから何を学んでいけるのかといけば伸び伸びできるのではないかな。悪魔が出たら困るというのであればもうその時点で悪魔の手の内にいることになるので、出たら出た時でその都度その都度学んでいこうと何でもどうぞ、オープンで伸び伸びとそれこそ愉しめるようになるのでないかなあと僕は思っていて、そういう風にして坐禅している。

 

〈中略〉

 

◇藤田一照(ふじた・いっしょう)
 1954年、愛媛県生まれ
 灘高校から東京大学教育学部教育心理学科を経て、大学院で発達心理学を専攻。
院生時代に坐禅に出会い深く傾倒。28歳で博士課程を中退し禅道場に入山、29歳で得度。
33歳で渡米。以来17年半にわたってマサチューセッツ州ヴァレー禅堂で坐禅を指導する。
2005年に帰国し現在も、坐禅の研究・指導にあたっている。2010年より曹洞宗国際センター所長。Starbucks、Facebook、Salesforceなど、アメリカの大手企業でも坐禅を指導する。

 2017年5月より、オンライン禅コミュニティ「大空山磨セン(土+專)寺(たいくうざんませんじ)」開創。
 曹洞宗国際センター2代所長。 著作に『現代坐禅講義 ―― 只管打坐への道』)、共著に『アップデートする仏教』、『安泰寺禅僧対談 』、『禅の教室』、訳書に『禅への鍵』『法華経の省察』、『禅マインド ビギナーズ・マインド2』など

 

◇ティク・ナット・ハン (Thich Nhat Hanh)
 釈一行。1926年、ベトナム中部生まれ。
 禅僧、平和・人権運動家、学者、詩人。世界的に知られた精神的指導者であり、その卓越した教えは全世界に影響を与えている。マインドフルネスの実践についての著作多数。多くがベストセラーになり、世界中の読者に広く読まれている。ニューヨーク・タイムズでは、ダライ・ラマに次ぐ西洋に大きな影響を与えている仏教界のリーダーと評されている。
 「行動する仏教(エンゲージド・ブッディズム)」を提唱し、1966年にはワシントンDCでベトナム戦争終結の和平提案を行うが、戦闘中止を訴えたため、反逆者と見なされて帰国不能になる。以後40年、フランスで亡命生活を送る。マーチン・ルーサー・キングJr.牧師の推薦により、1967年度のノーベル平和賞の候補となる。1973年のパリ平和会議ではベトナム仏教徒主席代表を務めた。1982年、南フランスにプラムヴィレッジ・瞑想センターを設立(Plum Village Practice Center)。

 社会的活動を継続するとともに、その教えに惹かれて集まる多くの人々への瞑想指導を始める。彼の精神的指導のもと、プラムヴィレッジは小規模な地方の農場から、西洋で最も大きく活動的な仏教僧院へと成長した。当地には200人を超える僧・尼僧が居住し、毎年世界各地から訪問者を多数受け入れている。現在も世界中で「応用仏教」の瞑想リトリートをリードし続けている。現在は書籍にとどまらず、多くのリトリートや法話の実況が、CDやDVDなどの媒体をはじめインターネットで広く配信されている
『私と世界を幸福で満たす食べ方・生き方 仏教とハーバード大学が勧めるマインドフルネス』より

和尚からの蛇足

 これは鎌倉円覚寺のホームページに載っているビデオ説法の【対談】をテキスト化したものです。ここに登場する藤田一照師とティク・ナット・ハン 師についてはプロフィールを載せているので参考にして下さい。横田南嶺老師は以前にも登場しているので、そちらを参照して下さい。

 上記の三師の仏教に志す思いと修行にかける真摯な向上心には心から敬意を表します。対談ではほとんど藤田師が語っていて、横田老師は軽く相づちを打つだけである。だから話の主体は藤田師であり、彼の修行にかける努力には頭が下がる。
 彼の修行は初め円覚寺の居士林から始まった。だから臨済禅から入ったのである。その後曹洞禅の内山興正師に師事し、アメリカの禅堂に行く縁を得て、長くアメリカに滞在しておられた。そしてティク・ナット・ハン師と縁を得て影響を受けられたことはここに記された通りである。

 横田南嶺老師も若い頃内山興正師の本に影響を受けられたとどこかに書いている。かくいう私も昔内山興正師の本を何冊か読み影響を受けた一人でもある。

 私はスリランカから日本に帰ってきて京都に居る時、浜坂の安泰寺を訪問したことがあった。その時安泰寺にいた人から私が修行した埼玉の平林寺をよく知っている人がいて作務は平林寺を参考にして行っていると聞き驚いたことがあった。残念ながら私は安泰寺とはそれだけの縁であった。

 残念ながらティク・ナット・ハン師については予備知識がないので、これから勉強しなければならない。しかしここで藤田師が語っていることでその教えの素晴らしさは十分伝わってくる。藤田師がそうであったように、我々禅僧の陥りやすい過ちを反省させられる。やはり謙虚にブッダを初めとする、祖師方の教えは奥が深く一生かかっても足もとに及ぶことはできないかもしれないが悟りの真っ只中に居る思いでやっていくしか方法はなかろう。

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