禅僧が聞いた元戦闘員の苦しみ

2019.10.14

横山泰賢(大本山永平寺 国際参禅部長)

 53歳、現在国際参禅部長を務める横山さんはこれまで世界各地の禅寺を訪問して、禅の教えを伝える中でかつて戦争や紛争の最前線で戦った元戦闘員たちに出会いました。

 座禅を通して打ち溶けていった彼らは戦地から帰ってからも消えることのない心の苦しみを吐露するようになったといいます。
 元戦闘員たちの告白を通して私たちは何を学ぶことができるのか伺いました。

 15年、アメリカ、イタリア、フランスに行きました。
 ニューヨークに居たときに、そこのお寺に住み込んで修行していた人で、医師になりたくて政府が医学部を卒業するまで学費を政府が出してくれるシステムがあり、学費が欲しくて衛生兵としてベトナムに従軍する訳ですが、ある村に駐在しているときに伝染病が蔓延してゆき、子どもに予防注射をすることになって、予防注射をすると翌日腕を切り取られていた。
 アメリカ軍の駐留を村が受け入れるとこうなるよと、見せしめになったのかもしれない。
 その後医学部に行って医師になりますが、自分が戦地で体験した事、何の戦争をしているのかわからない、自分が良かれとやってもその子は腕をとられてしまった。
医師として携わってきたが、物凄くトラウマを抱えながら医療に従事してゆく事すら疑問を感じるようになった。
 そこで禅と出会い、私と話をすることになりました。
 それとどう向き合うべきか気づくことができたのではないかと思います。

 やはりベトナム戦争に行った人で暗い人で、悩んで苦しんで、苦しみからどうやったら解放されるのか、という事でお寺に来られました。
 町の中にいる時寄ってくる子どもがいて、その子をかわいがっていたが、その子がある日突然箱を持ってきて笑顔で渡された。
 友人が箱を開けようとしたら爆発して友人は亡くなり、たまたま離れていたのでその人は助かった。
 あんなにかわいい子で気持ちが通じ合っていたと思っていたが、その子がそういうことをしたという事がショックで、又自分の戦友が戦闘ではなくてそういう事で亡くなったというショックで、聞いてほしいという事で話をし始めました。
 兎に角聞くしかなかった。
 1995,6年ごろの話です、ベトナム戦争が終わって30年ぐらいたっているころです。
 長い間悩んでいて、本を読んだりいろんなことをやってきたんだと思いますが悩みが解放するに至らなかった。

 座禅を組んでいる間は物を言わないから、一緒に座禅を組んで修行をしたり仏教の勉強をしているうちに心を開いてきて悩みだとかを話し始めるという、自然の流れの中でそういう事が行われる。
 こちらから聞き出そうという思いがあると、苦しんだり悩んでいる人は言いづらい、なかなか心を開いてくれないんじゃないのかなあとは後で感じました。
 座禅の実践がそういった方々の心を開いてくれる。
 聞いた内容から私が学ぶ方が多かったと思います。
 永平寺で修行をしてその後副住職になったとき、お檀家さんを訪ねていくわけですが、命日にある家に行ってお経をあげたときに、奥さんが急にご自分が原爆で両親家族全員なくしてしまって一人ぼっちになって、他人に育てられて苦労したという事を話してくれました。
 何故話してくれるのか、何か求めておられているのかなあと思って、お釈迦様はこういう風に言われています、道元様はこうおっしゃっていますと理屈を申し上げたら、その方は泣き始めて最後に、「和尚さんはまだ若いからわからないんだ」と言われショックでした。

 人の苦しみ悲しみが判らないで私はいったい何の勉強をして何の修業をしてきたんだろうと思い始めました。
 そのまま住職になる訳にはいかないと思いました。
 周りの人が心を開き始めたらまず聞こうという事がまず自分にとって大切なことなんだろうという事はよく心の中で自分自身に言い聞かせていたことはあります。
 私は広島で育っていて、自分のお寺も爆心から1㎞のところにあるので、原爆で焼けて当時お寺もなくなっています。
 母親が一人娘で当時5歳で、両親とそのお寺で過ごしていました。
 ぴかっと光ってドーンと来た時に、本堂も庫裡も全部倒れたが、たまたま助かって両親もがれきから這い出してきて、郊外へのがれました。
 両親はお寺があったところに戻ってきてしまい、祖母(母の母親)は1か月後に原爆症で亡くなっていきました。
祖父(母の父親)はその後9年間生きていましたが、放射能のせいだとおもいますが背中に大きなこぶができて母が中学生の時に亡くなりました。
 母はあまり語りませんでした。

 お寺と原爆の関係を知っていた或るお寺のお弟子さんが、或るとき突然自分の父が広島に原爆を落とした飛行機の搭乗員だったという話を食事の場でしました。
 言わないと苦しいからという事で話をしたという事でした。
 その搭乗員だったという事でその父はどんどん出世をして基地も変わってゆき、そのたびに転校しなくては行けなくて、友達ができてもすぐ分かれなければいけないのでつらかったと言っていました。
 元になっているのは爆弾で30万人ぐらいを殺している、というのが彼女のトラウマになっていたそうです。
 戦争に行っている、戦災にあったというだけではなくてその家族も或る意味被害者だと思います。
 彼女には恨みも何も感じないです、父親に出会っても同様だと思います。
 恨みは恨みを持って消せることはできない、恨み以外のものによってのみ恨みを消すことができるという一節があります。

 戦争で人を殺してしまうという事はそこには家族もあり、その奥さん、子どもは自分と同じ気持ちなんだと思うと、許す以外に方法はないでしょう。
 自分が絶対正しいという価値観に基づいて、夫婦でも「あなたそれ何」という部分が出てくる、その時に喧嘩になるがどんどん大きくなったのが戦争です。
 そのもとは私たちの生活の中にあり、人としてそういうものを持ち合わせてしまっている。
 カッとなるときもどうしてもあるが、そのつど自分に反省するわけですが、その繰り返しをやっているわけです。
 戦争は勝っても負けても人の心を間違いなく傷つけてしまう。
 戦争をしても根本的解決は何もできない、人が苦しむだけ傷つくだけ。
 座禅というものは何か目的をもって実践するものではない。
 動機はそれぞれありますが、座禅を組み始めたらそうした動機も全部手放して座る
 そうしないと座禅を組もうと思った動機がずーっと頭の中で働いて座禅にはならない。

 戦争は人を傷つけて大変なことだという事は勿論伝えていかなくてはいけないが、今の時代、今の世界に生きている人たちのこの現状において向き合わなければいけない問題、苦しみ悩みは一杯あると思うので、昔と変わらないと思う。
 今向き合っている問題を通して同じことを学んでもらうためには、どうすればいいかという方向に私は行ってしまいます。
 社会問題と向き合う中に、それが苦しみになっている人とそうでない人とがいる。
 それがトラウマになってうつ病になる人もいるが、自死を試みようとする人もその中にはいると思う。
 そこまで行くとその人たちの苦しみは同じだと思います。
 戦争はそれが自分たちが日々生活している中で向き合っている問題、いわゆる自分たちの悩みや苦しみとどう関係があるかという事です。
 元にあるものは人が作り出す幸、不幸も全部ひっくるめて人が作り出すものは何も変わらないものが元にあるんだという事で、それとどう向き合っていくか。
 一人づつの人がそれとの向き合いを判ってゆけば、2人、10人、100人・・・1万人になりという風になってゆけば世の中はよくなっていくんじゃないですかね。

 日本は平和がゆえに危機感がないといわれる。
 両面が常にあるという事を我々は理解しないといけない
 「生死」 生と死を切り離して別個に見ない。
 我々は危うい命を生きている。
 平和への思いというのは、世の中を平和にしようと思ったらまずは自分から、自分の心が穏やかで平和に生きているのか、そこからだと思います。
 カッとなるときもあるかもしれないが、自分を振り返る。
 「回向返照の退歩を学すべし」と道元禅師はいっています。
 前に進めばっかりではなくて後ろに下がれと言っています。
 後ろに下がって自分自身をもう一度照らし見る。
 自分自身が心穏やかに平和に生きてゆくにはどう自分と向き合うか、どうすべてのことに向き合っていかなければいけないか、そこだと思います

ラジオNHK 第1(2019.10.8放送) 〝明日への言葉″より

和尚からの蛇足

 長い文章ですけれど、NHK 第1放送の番組のインタビューを文字にしたものです。

 私ごとですが、50年以上前私がまだ小学生のころだったと思う。ふだん口にもしなかった父に戦争体験を尋ねたことがあった。かつて父も太平洋戦争中の元戦闘員の一人だったのであった。
 あまり思い出したくなかったのか、話しても分かってもらえないと考えていたのかはわからない。それまでもその後も、戦争のことに触れることはなかった。
 やっと話してくれたことは、工兵としてフィリピンのルソン島に送られ、米軍が来る前のこと、そして米軍が上陸し、山中に追い詰められ、すさまじい艦砲射撃や米戦闘機の機銃掃射の中、たくさんの仲間を失いなんとか逃げのびて、最後は米軍捕虜となって日本に帰還したということだった。
 戦後生まれの私にとって、インパール・南方や北方の島での日本兵たちのことは、ドキュメンタリーや大岡昇平・山本七平の本など(他にもいろいろあると思う)から知った。どんな悲惨であったかの本当のことはなかなか分かることではないし、満州の開拓民などの一般人や現地人の苦労など果たして安易に想像できるものではないであろう。日本人に限ったとしても、戦後にその傷跡を残した人もいればそうでない人もいて、様々であろう。

 

 それでも現実に、戦争や紛争に直接かかわった人達や巻き込まれた家族・友人の心の中には、深い傷跡が刻まれている。それを本当に癒やすのは簡単なことではない。横山師は自分が接した人々からそれを数々体験されてきている。

 若き日に檀家の奥さんからいわれた一言が、彼の生き方を根本から変えた経験をされている。そういう経験をせずにノホホンと生きている人間にどう伝えるのかは難しいが、そういう機会は限られているのが現実である。

 例えばこの番組はインタビューを記事にしたものである。何も解っていないであろうインタビューワーが最後に型通りの「これからのどのようにやっていくか抱負を伺います」と質問された。これは私の勝手な想像だが、その時横山師がかつて昔檀家さんから言われた「まだ若いからわからないんだ」という言葉を、立場を逆に質問者に返したかったに違いないと私は思った。

 世の中には、枠にはまり型通りに行くことなど何も無いのだ。
 だから横山師はインタビューで答える時、言葉を探し、時間をおいて「自分自身が心穏やかに平和に生きてゆくにはどう自分と向き合うか、どうすべてのことに向き合っていかなければいけないか、そこだと思います」と力強く答えられたのを聞いて、私はその通りと大きく頷〔うなづ〕いていた。

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