臥雲寺 石蔵〔いしぐら〕について

2019. 8.12

――「抜苦与楽〔ばっくよらく〕」の 石蔵〔いしぐら〕――

 抜苦与楽と石蔵がどうつながるのか不思議に思われるでしょう。

 まず、「西遊記」で有名な玄奘三蔵〔げんじょうさんぞう〕について触れておきましょう。玄奘は七世紀初頭(約千四百年前)、二十七歳で唐の都 長安を旅立ち、シルクロードを西に向かいインドに入りました。滞在していた十七年間たくさんの経典等を集め中国に請来しました。後の中国や日本仏教の基本となる経典の翻訳作業に努め、後世に大きな貢献をしました。玄奘以後の訳は新訳〔しんやく〕と呼ばれています。それ以前にも経典の訳はあり、古訳〔こやく〕(五世紀以前)や旧訳〔くやく〕(五世紀から七世紀)と呼ばれるものがあり、それに比較されています。

 私は平成七年に妙心寺派花園仏教講座研修ツアーで中国へ渡り、玄奘の訳経の地である西安の大慈恩寺、墓所のある西安近郊の興教寺などを訪れました。
中国仏教にとっての聖地のひとつともいうべきところです。

 また平成十二年に今度は友人の縁で大谷大学同窓会のインドの仏跡参拝の機会を得ました。その中でインド・ナーランダ寺院趾を訪問し、その大規模な遺跡群には圧倒されました。その時現地ガイドの説明の中に本当のことかなと思うような物がありました。かつて唐の国からやって来た玄奘三蔵が滞在していたレンガ造りの部屋があり、中に入ったら、千数百年前のものが目の前にありました。そのまま受け入れるに余りにも久遠の話でたじろいでしまいました。
しかし色々想像して感慨に耽〔ふけ〕っているうちに嘘ではないのではないかという気持ちになりました。今は観光地の一つでしかないが、玄奘三蔵が訪れた当時「…僧徒は数千人おり、みな才能高く学殖ある人々である。(「大唐西域記」)とかつての盛時が記録にあり、今でもその片鱗は十分残っています。

 話は変わり、数年前近所で屋敷にある石蔵を解体すると聞きました。その蔵の石は地元産の一般的に大平〔おおひら〕石と呼ばれる石で造られています。そのままでは解体され、終いには石の瓦礫になってしまうので、あまりに勿体なく惜しいと思い、引き取り移築することを申し出ました。幸に先方の了解を得ることができました。

 沼津市内にはこのような石造りの構築物があちらこちらに散見されます。あるものは石垣であり、あるものは石蔵であり、祠であったりします。その石を産出したのは沼津市内の静浦や地元大平で、そこには今でもその石を切り出した採石跡を目にすることができます。かつて明治・大正・昭和を通じ、石が切り出されたことを知る人も今では段々少なくなってきたのではないでしょうか。

 そこで沼津市立図書館に行き、図書司書の助けを得て、郷土資料室の「駿東郡誌」(大正五年刊)を見つけていただき、その中の記述で、その一端を知ることができました。「静浦村を最とし大平村之に亞〔つ〕ぎ楊原村又之に亞ぐ…」とあり、大正初頭の頃の産出量や価格を知ることができます。旧陸軍省の注文で採石が次第に盛んとなり、軍関係の諸施設・沼津御用邸の石垣を始め葉山御用邸・農商務省などの建築用材として鉄路や船舶などで盛んに出荷されました。大正初めの頃としては当地における一大産業だったというべきでしょう。

 当時採石場はあちこちにあり、一般的な伊豆石のほかにその地名をとり志下〔しげ〕石・多比〔たび〕石などの名称がありました。大平にも前に述べた通り、数カ所で産出をしていました。小山・大井・戸ヶ谷・吉田などです。大平の地から馬車を使い運搬された様はさぞ賑やかなものであったと想像されます。その量 一年間に数万切という。ほとんど人力が主だった時代のことを考えると大変なことであったでしょう。その採石跡は技術遺産・産業遺産というべきもので、「石仏の里」と並び「採石跡」の大平として十分に産業遺産としての価値はあると思います。

 前置きが長くなりましたが石蔵の話に戻ります。大平の中の一集落である戸ヶ谷〔とがや〕(元来は殿ヶ谷と称した)の地に建っていた蔵はそこから二・三百㍍しか離れていない採石場から産出された石でできたものでしょう。戸ヶ谷石と呼称され、建築材としてはもちろん火にあたってもはぜない石質のためクド(カマド)の石として非常に重宝されたようです。最近まで家のそばで使われていたのを目にすることができました。そのような歴史を忘れてはならないと思い、移築することになったその小ぶりの石蔵(約七畳ほど)を初めて目にした時、頭に浮かんだのはインド・ナーランダ寺院趾で見たあの玄奘三蔵が住んでいたといわれる部屋でありました。地元大平の遺産というべき石蔵を残し、玄奘三蔵の仏教に対する熱意を思い起こすものとして活用すべきという思いに到りました。

 ある臨済の老師が「人の前世はその人の親の人生であり、来世はその人の子供の人生がそれである」と言う言葉を聞いてから、いつもそのことを頭に置いて気にかけていました。前世は昔のことではなく、来世は遠い先の話ではないと腹に括〔くく〕った時、現世で同時に過去・現在・未来を体験できるという事はすごいことだと感激しました。

 過去の歴史とこれから先の夢の中の様なことが、この石蔵の中に閉じ込められていて、それがいつの間にか玉手箱と化しているのです。
 「抜苦与楽」とは慈悲と説明され、パーリ語ではカルナー(悲)・メッター(慈)といい大切な言葉で、それは観世音菩薩の徳であります。また慈は父の愛、悲は母の愛にたとえられ、慈悲の心は利他の心でありその福徳は計り知れないものがあります。

 過去の色々な苦労とこれから来るであろう困難と又ありし日の良き思い、やがて訪れる至福の時それら全てを今生きているこの身で体験できるという有り難さを感じます。

 「外のものがあっても自分の識のなかで認識し確認したものだけが存在する」という唯識の教えの註釈書を中国に伝え、漢訳したのが玄奘三蔵なのです。この石蔵には昔の石工の汗と現代の石工を始め職人の魂がそれぞれの時代を映し共に結実しているのです。「抜苦与楽」を菩薩さんに願い、精進するために活用していきたいと思います。

(初掲載2016年4月11日)

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