説話【ソーナさん】
2020. 9.25
〔前四〇〇年頃〕
中インドの大長者の一人息子にソーナという青年がいました。
ソーナさんは赤ん坊の時から、超過保護の長者に、何一つ不自由することなく育てられました。全てのことは使用人がやってくれたので物を持ったり、歩いたりすることもありませんでした。長じてからも豪華な自分の部屋で、好きな琴を奏でながら、何の心配もない日暮らしをしていました。
「ありゃ」
ある朝、ソーナさんは目覚めると奇声を発しました。あまり使わないので、足の裏に毛が生えてきたのです。
このことが町の噂になり、やがてお釈迦さまの大信者ビンビサーラ王の耳に入り、珍しい毛を見たいものじゃと、お城へ招かれました。もちろん、輿に乗っての登城です。
ここで王から、たまたまお釈迦さまの話を聞いたソーナさんは自分の生き方に大きな疑問を持ち、さっそくお釈迦さまを訪ね、すぐに出家しました。
それからのソーナさんの生活は一変、天国と地獄、苛酷な修行生活になりました。坐禅のため足が擦り切れ血が流れ、体は痩せ衰えて髭ぽうばう、大富豪の御曹司はみる影もなくなりました。それでもソーナさんは昼夜分かたず、きびしい修行を続けました。
ある日、ソーナさんが坐禅修行をしている樹の下にお釈迦さまが立ち寄られました。
「どうじゃ、お悟りは得られたかな」
「いいえ、いくら頑張っても、体を痛めてみてもお借りに至りません」
「ところで、そなたは琴をたしなんでいたようだが良い音色を出すには何が肝要かな」
「はい、それは糸の締め具合です。強すぎても、ゆるすぎても妙音は出ません」
「中ほどが良いと云うことかな。仏道修行も同じことだよ。過ぎれば調子を乱し、少な
ければだらけてしまう。そなたが緩急自在に琴を奏でていた時の気持ちで修行を続ければ必ず道は開けるだろう」
お釈迦さまの言葉で、ソーナさんは日ならずしてお悟りを掴むことが出来たそうです。
『花園』平成22年10月号 文・なみ からし より
和尚からの蛇足
この説話は「弾琴のたとえ」として広く伝わっている。
出家してから厳しい修行に明け暮れていた修行者ソーナに、お釈迦さまは何と声をかけたらいいのか考えていた。そこで琴をたしなむソーナに対し、糸をどのように張ったらいい音が出るか尋ねられた。
ソーナは「糸は強すぎても、ゆるすぎても妙音は出ません」と答え、お釈迦さまはソーナ自身で修行の妙諦〔みょうてい〕に気づくように仕向け、そのことによってまもなくお悟りを掴むことができたということです。
これは「中道」の大切さを説いた説話として伝えられている。
前に藤田一照さんの話を取り上げた。長い間歯を食いしばり、修行を続けてきたが、今では「感じて、ゆるす仏教」を標榜されている。その変化は大変なものである。そこに到ったのはやはり「中道」がキーワードだと思う。
ティク・ナット・ハン師の「smile!」という呼びかけもそうであろう。
これからも、お釈迦さまの教えの奥深さを味わっていこうと思う。