説話【小鳥のけなげさ】

2019. 8.18

 「山深いところで、何の原因か山火事がおき、その森に住んでいた鳥も獣も一目散に逃げた。その中で只一羽の小鳥が逃げずにその山火事を消そうとしていた。必死になって水場をさがし、自分の羽を見つけた谷川の水に浸しては火の上へ行ってそのしずくを払った。そしてまた水の所に戻っては、行ったり来たり何度も繰り返していた。
 一方、くたびれもうけで何の役にも立たないと、他の鳥たちはその愚を笑い遠くの安全なところから眺めていた。その小鳥は一途にやり続けた。小鳥にできることはそれしかなかったから。

 天の神はこの小鳥の心に感じたのかどうか、やがてポツポツと降り出した小粒の雨がしだいに大粒になり、しまいには大雨を降らせて火を消したという。

『善勝寺だより』平成26年3月7日号より

 

和尚からの蛇足

 この話は『祈りの延命十句観音経』(横田南嶺老師著)にも載っています。松原泰道先生がお話になっていたたとえ話として紹介されています。しかし、上の文章の太字部分はないのです。そして「お釈迦さまはこのたとえを引いて、出来る出来ないが問題なのではなくて、なさずにはおれないというこの小鳥の精神こそ仏教の心なのだと説かれました」と書いています。

この話は六波羅蜜という徳目の中の一つ「精進〔はげみ〕」を説いています。「精進」はただ単に努める・励むだけではなく、物事に精魂をこめてひたすら進むまたは善をなすのに勇敢であることであり、ここで示した小鳥のはたらきを見ればお分かりだと思います。

 『法句経』21に「精進〔はげみ〕こそ不死の道 放逸〔おこたり〕こそは死の径〔みち〕なり いそしみはげむ者は 死することなく 放逸〔おこたり〕にふける者は 生命〔いのち〕ありとも すでに死せるにひとし」(友松圓諦師訳)とあり、「精進こそ不死の道」という仏陀の教えは私たちに長生きしたい・死にたくないと考えるより精進することに専念することが大切だと諭しています。

 それにしても、人にお話しするときここの太字部分を読むとなぜか私の目がうるんでくるのです。話しとしては劇的効果満点ですが、気をつけなければならないのは、これは明らかに儒教の「萬事を尽くして天命を待つ」に通ずるもので、仏教の教えから逸脱していると言わなければならないでしょう。儒教が染みついている日本人には心しなければならない点であることを指摘しておきます。

(初掲載2016年6月27日)

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