説話【プールナさん】
2019. 8. 1
(前四○○年前後)
「あなたはブッダの教えにしたがって修行に励んでおられるようだが、ブッダの教えとは戒を保つということか。あるいは不動の心を保つということか、それとも清浄の心を保つということですか」
「いいえ、ブッダの教えは心身共に完全に解き放たれ、全くこだわりの無い、自由自在な人生をつかみ取ることです。おっしゃったことは段階として必要ですが、その一つ一つにこだわって、そこで止まっていたら最高の境地にいたることは出来ません」
「はあー」
「ある国の王様が、今日中に三百キロ離れた国境の紛争解決に、なんとしても行かなければ大変なことになる事態になりました。さて、どうしたものか。
優秀な家臣が考えました。五十キロごとに造ってある要塞にのろしで合図して、各要塞に一台の馬車を待機させました。王様は合計六台の馬車を乗り継いで国境へ驀進〔ばくしん〕し、その日のうちに国境へ到着して、紛争は無事一件落着したそうです」
「確実に到着するため一つ一つの馬車はそれぞれ役目があって大切で欠くことは出来ません。しかし、一台の馬車にしがみついていては、その日のうちに国境に到着できません」
「なるほど」
「ブッダの教えは、何台の、どんな馬車に乗り継いで国境に到達するかということではなく、それらを乗り継いで国境に到着するということです」
「うむ」
「もちろん戒とか、不動心とかは、それぞれ大切で、修行に欠くことの出来ないブッダの教えです。しかし、その一所に止まらず、こだわりのない、完全に自由自在のところに到達することがブッダの究極の教えです」
自分の名を隠して質問にやって来たシャーリプトラさんに対しての、説法第一といわれるプールナさんのお説法でした。
『花園』平成23年5月号 文・なみ からし より
和尚からの蛇足
プールナさんは釈迦十大弟子の一人です。いくつかの呼称があります。パーリ語ではプンナさん、サンスクリット語ではプルナ・マイトラヤニーさんと呼ばれます。漢字では富楼那尊者と表記されています。
十大弟子中では最古参。大勢いた弟子達の中でも、弁舌にすぐれていたため説法第一の比丘とされています。
また十大弟子で智慧第一の舎利弗(シャーリプトラ)は彼の徳風を慕い、彼が坐禅する場所に行き、よく問答を行ったと云われており、上の問答もその一つなのでしょう。
プールナさんはブッダの説いた教えを忠実に、正しく伝えています。
「ブッダの究極の教えはこだわりのない、
完全に自由自在のところに到達することです。」
例えを使い相手に解るように説かれているプールナさんのことばに「説法第一」といわれる由縁を学びたいと思います。
(初掲載2016年4月27日)